お金の本質

源を意識するようになってから
お金に囚われなくなりました。

増やすとか、
減らさないとか、
安心するとか。

そういう思考が薄れていった。

気づいたのは、
お金そのものに何か意味があるわけではない、ということ。

お金は、
私の価値を評価しているわけでも、
努力を測っているわけでもない。

ただ、
今どんな位置で生きているかが、
結果として数字になっているだけ

そんな感覚です。

その感覚に至ってから、
お金を追いかけることはなくなりました。

追いかける、という行為そのものが、
「足りていない」という不足の前提から生まれた発想だからです。

よく言われる説明があります。

・お金は労働の対価
・ないと困るもの

説明としては、間違ってはいません。

でも、
それは思考で考えた理由

呼吸をしている理由を、
「肺が動いているから」と
説明するのと、少し似ています。

合っているけれど、
本質ではない。

今の私には、
「お金がある」「お金がない」
という発想があまりありません。

代わりに見ているのは、

今、無理してないか。
今、ズレていないか。

それだけです。

その状態に戻ると、
現実は自然と整っていく。

お金は、
周波数の整い方の一つの形として現れてくる。

お金を操作しようとすると、
どこか噛み合わなくなります。

増やそうとしたり、
引き寄せようとしたり、
コントロールしようとした瞬間に、
主従が逆転する。

お金が主役になり、
人が振り回される。

でも、
位置が戻ると、
その関係も自然に戻ります。

帳尻は、
こちらが合わせなくても、自然と合っていく。

実際に、
資産の額=自分の価値
だと思っている層とも出会ってきました。

お金を持っていても幸せそうではない人。
人の言いなりで源からずれている人。
お金や他人に主導権を渡してしまっている。
自分は後回し、源にも気づけていない。

だから私は、
お金だけを信じてもいないし、
かといって疑ってもいません。

期待も、
恐れも、
どちらもあまり向けていない。

ただ、
過剰な意味づけをやめたのです。

お金が人生を動かすのではなく、
人生の立ち位置が、
お金の見え方を変えている。

そう感じています。

お金を何とかしようとする前に、
見るのはいつも同じところ。

「今、どこから世界を見ているか」

それが、
私にとっての最優先です。

タイトルとURLをコピーしました