朝、目が覚めたとき、
気分が重い日があります。
以前は、
なぜ重いのか、
何が原因なのか、
理由を探していました。
けれど今は、
それをあまりしません。
ただ、
「ああ、重いな」
そう感じて、
その状態をそのまま観ています。
周波数実験室での実践を通して、
周波数は
操作するものではなく、
選択が起きるものだと体感しました。
だから、
無理に元気になろうとはしません。
気合いでも、
努力でも、
ブロック解除のようなものでもない。
あるのは、
心地よさを選ぶという
とても軽い感覚です。
それは、
パン屋で
今日のパンを選ぶようなもの。
今日はこれ。
今はこれ。
それ以上でも、
それ以下でもありません。
重さを感じているとき、
理由づけはしません。
「なぜ?」も探さない。
重さがあることを、
そのまま観察する。
そして、
心地よさが選べるときは、
自然に選ぶ。
とはいえ、
選べないくらい
重い日もあります。
そういう日は、
選ばない。
変えようともしない。
無理に気分を上げようともしない。
ただ、
重いという感覚が、今、ここにある
という事実を観ます。
良いとも、
悪いとも判断せずに。
まるで、
アサガオの成長を
眺めるように。
無理に整えなくなってから、
楽になった、というよりも、
重い日を、
重いまま通り過ぎられる
ようになりました。
それだけで、
十分だったのだと感じています。
重い周波数があっても、
なくても、
源の位置にいる私は、
変わらず在り続けている。
そのことに気づけたことが、
何よりの安心であり、
何よりの幸せでした。
